otakuはかっこいい?
先日、お盆中に開かれていたコミケ(コミックマーケット)の話をテレビでやっているのを見た
何故かインタビューに登場してくる人たちはあくの強いいかにもな人たちばかりで、インタビューする側も何か上から目線でインタビューしていて少しムカついていた
フランス人のコスプレイヤーにインタビューするところになった途端にそれまでとは違った雰囲気でインタビューが始ってさらにムカついてきた。
そのフランス人
(セーラームーンのコスプレしている男)は日本のアニメや漫画が大好きだと答え、「おたくは自分の好きなものにまっすぐの愛を注いでいるところがカッコイイよ」その言葉に日本とフランスでの価値観の違いを強く感じた。
みなさん、おたくはかっこいいと思いますか? 斎藤
脱構築の彼方に
フランス現代思想のなかでも、脱構築の思想に触れたとき、僕のなかで何かが開けたような気がした。
デリダの造語であるこの脱構築。僕が知っているこの思想の一側面を簡単に述べると、脱構築とは「ある既成の構造・構築物を破壊し、新たな構造・構築物を生成する、という哲学の営み」のことである。
デリダはこの「手法」を使い、西洋の伝統である二項対立的形而上学の構造を脱構築し、二項対立に終始しない新たな可能性を探った。
既成のものをつねに批判し、その構造を崩すこの作業は、延々と広がる相対性の彼方へと僕らを連れて行ってくれる。
たしかに、構造を崩していく脱構築の営みは、すべてを「相対」の一言で片づけ、結局何も生み出さないという批判があるかもしれない。
しかし、僕が考えるに、デリダの主眼は構造を崩した後の「新たな可能性」を提起する部分にある。
なによりデリダ自身、脱構築という思想そのものさえ脱構築され、新たな意味を獲得していくものだ、と述べている。
僕はこうした脱構築の思想から、身近な出来事から自分が現在いる「世界」というものまで、考える際のヒントを得た。
ところで今回は日仏の交流企画ということだ。
「日本」と「フランス」という国の「差異」があるからこそ、「交流」という企画が意味をなすのだと思う。
でも、「日本」と「フランス」だって、既成の構造でしかない。
何十年、何百年先の未来に、こうした国の隔たりが消えた、新たな可能性を夢想せずにはいられない。
[やぎ]
憧れのフランス
フランスといえば、パリ!パリといえば、シャンゼリゼ通り!という馬鹿の一つ覚え的な発想のもと、お〜シャンゼリゼ〜とホントに歌いながらスキップしてヴィトンの通り過ぎた間抜けな私。
そして、謎のカナダ人カメラマン(ニュージーランドの人だったかしら?)に日本人であることを勝手に否定され、韓国人だと押し切られた私。
素敵なイケメンではなく、なぜか素朴なおじさんにやたらとジョリ、ジョリ(可愛い)と連呼された私。
「ベルサイユのバラ」に憧れ、第二外国語でフランス語を選択し、生まれて初めてしたコンビニのアルバイト(今となっては人生のなかでベスト10に入るくらいの汚点のひとつ)でためたお金でフランスに舞い降りた私に待っていた現実は、あまりに残酷だったの。
たった一度しかいってないフランスに対して、いろいろ言うのはなんだか申し訳ないけど、フランス人は日本の女の子のことを軽く見てるのかしらん?いまだ答えはわからないので、機会があったら聞いてみたいわ!
なぜって、私がエクス・アン・プロヴァンスにある、専門学校みたいなところ(名前はパンフにかいてあるけど、どれが名前かわからないの)の日本語クラスを見学に行って、そのクラスのことお友達になったときのことです。
A君(ひょろっとした普通の男の子、ハンサムじゃなかったので名前忘れた)とBさん(中年の自称、外科医のおじさん)にその日の夜9時から開かれる日本人女性を囲む会に誘われた。
でも、A君にいたっては、タバコに火をつける手が異常に震えてる。フランス人学生の中では薬をやっている人のいるそうなので、彼もその中のひとりに違いないとこっそり思った。
かつ、市内を案内してくれたBさんが日本人女性を囲む会を行う予定の場所(薄暗いカフェの中2階)を見たときには、絶対ヤバいと思った。
結局、夜は行かなかったので、その会の実情を知ることは出来なかったけど、憧れのフランスでなんだか怖い目に遭いかけた私の気持ちはどこにいけばいいの?
こんな私の誤解を解いてくれる素敵なギャルソン?が現れることを祈ってるわ。
香奈
大学生とは
僕は1年間フランスのトゥーロンというところの大学に留学している。
日本とフランスの学生比較をしてみたいのだが、九月に授業が始まり、その頃は授業にはたくさんの人がいる。
11月に休暇があり、この頃から出席する人が減っていくのも、ゴールデンウィークをすぎると閑古鳥が鳴く日本の授業風景と同じである。
もっとも大きな違いは、前期、後期を通じて出席する学生とともに、『学生自体』が減少することである。
後期、テストの結果が張り出されたのだが、それをみてみると半数ほどの生徒がテストを受けていなかった。
これはバカロレアという資格試験をとれば誰でも、ほぼどこの大学にでも入れてしまうということもあり、どこか義務教育の延長のようになっていて学生であることの意識の低さに由来する現象だと思われるけれども、しかし学生生活を【モラトリアム】といって謳歌する日本の学生と、つまらなければさっさとやめてしまうフランスの学生と、この違いはなんなのでしょうかね。
話は変わって、日本と同じく、フランスは学歴社会である。
しかしこの学歴というやつが、日本の概念とは異なる。
フランスには私立大学がかなり少ない。
だから、ほとんど国立。授業の内容も、そう差がない。
そして大学に入るのは誰でも可能。
つまり、日本のように大学の格付けがなされておらず、大事なのはズバリ【免状】(どの学部を出たか、ということ)なのである。
これは大事なことである。つまり、学閥ができない(ここではグランゼコルの話は隅においておく)のだ。
日本の財界・政界ともに学閥の支配やその解体が問題視されて久しいが、それをなくすならばセンター試験によって大学への入り口のみ等しくしても始まらない。
大学を出たときに、どの大学を出ても同程度のレベルが学生にあるということが保障されることが必要だとおもう。
まあ、政財界の大物達が日本の学歴社会を許容していくのならばフランス型は肌に合わないだろうが。
画像はトゥーロン大学の道端にて。
【太田】
スイーツ(笑)
ここ数年で一気に日常用語になった「スイーツ」。
この言葉から派生したネットスラング「スイーツ(笑)」は2007年度のネット流行語大賞銀賞らしい。
10年ほど前から、ティラミスやエッグタルトなど単発的に大流行するお菓子は存在していたが、「スイーツ」文化自体が日本人の日常に溶け込んできていることは否定できないだろう。
この「スイーツ」は老若男女問わず、人々を笑顔にしてくれる魔法の道具だ(と僕は考えています)
そして、この偉大なるお菓子文化の元祖はやはりフランスである。(フランスさんありがとう)
お菓子職人を意味する「パティシエ」は14世紀のフランスで宮廷や貴族のために当時高級品を作るお菓子を作る係だったそうで王侯貴族の保護のもと発展したらしい。
そのためパティシエ(あるいは女性はパティシエール)は 日本の医者に値する社会的地位を持ち さらにM.O.Fと呼ばれるフランス国家最高職人賞を 持った者は最高の栄誉と信頼が保証されている。
日本もフランスを見習ってお菓子職人の保護・育成を本気で考えるべきだ!
この素晴らしい文化を発展させていかなければ!!
最近では、TORAYA CAFEなど和菓子の要素と洋菓子の要素をミックスさせた「和スイーツ」も多くなってきた。
和菓子業界も発展のため、柔軟性に富んだスタイルが目を引きます。
日本とフランスの美味しいコラボレーションがこんなところで起こってますよ。。
【おすぎ】
Arrière-pensée
僕の通う学部では第二外国語が必修となっている。
選択可能な第二外国語は、ドイツ語、スペイン語、中国語、そしてフランス語だった。合格通知が届き、希望調査があった。
友人や知人に聞くと、将来を考えると中国語が良いのでは、という話が多かった。
しかし、である。
せっかくの大学生活、「華」があったほうがいいに決まっている。
そこで僕はフランス語を選んだ。
「理由は?」
聞かれても困る…だってヨコシマな理由だから。
女の子が多そうと思ってフランス語を選んでみたものの実際はどの語学も似たような男女比だったらしい(…くやしかった)。しかも、語学のクラスで何かあったわけでもなかった(…さらにくやしかった)。
そう言えば希望調査のときに第二希望まで書いたっけな、なんてことを思い出した。こういうときだけ希望通りに行くんだから、神様もイジワルである。
それからの2年間は苦しみに苦しんだ。
もちろんフランス語のテストに。
単位は無事取れたけれど、ヨコシマな理由できめちゃいけませんね。
【しょうが】